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横浜生まれの版画家、川上澄生(1895-1972)の作品約500点を一堂に集めた展覧会が、横浜開港150周年に合わせて、只今横浜のそごう美術館(http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/index.html)で開催されています。とても有名な、と云えるような作家ではないのでご存じない方も多いかもしれませんが、2年前にTVの人気美術番組、“美の巨人たち”でも取り上げられるなど、近年その作品の評価は次第に高まっているそうで、僕もTVで観てからと云うもの、いつか機会が有れば展覧会を観てみたいものだと、ずっと気に掛けていた版画家でした。
川上澄生は父が横浜貿易新聞(現在の神奈川新聞)の主筆を務めていた1895年に横浜市紅葉坂にて生を受けますが、父の退職に伴い間もなく東京へ移転。横浜で暮らしたのは幼少期の記憶も殆ど残らない3歳までの僅かなものでした。
中学高校と青山学院に学ぶ中で、彼は1人の友人と出会います。その友人の父がフランスから木口木版の技術を移入した版画家、合田清でした。腕白であった一方、絵を描いたり読書を好むなど、文化芸術に関心の有った澄生は合田のアトリエを訪ねる機会を得、ここで版画の世界に触れることになるのです。
20歳の頃(1915年)、最愛の母が病気で他界し澄生は大きな精神的ショックを受けます。それに続けて、打ちひしがれるような辛い失恋を経験して失意の日々に陥ります。彼は何も出来なくなってしまうほどに傷付きました。それを見かねた父は澄生にカナダ行きを勧めます。1917年に横浜から船で旅立った彼は1年ほどカナダやアラスカで放浪めいた暮らしも経験しますが、結局その心が癒やされることはありませんでした。澄生は一層孤独を深めて行ったのです。
そんな彼の心を慰めたのは、萩原朔太郎の『月に吠える』や室生犀星の『愛の詩集』などの詩でした。詩を読むことで自身と向き合い始めた澄生は、やがて自身も詩人になることを夢見るようになって行きます。しかしその思いは達せられることはなく、詩に託せなかった思いを版画制作へと向けることになるのです。若き頃の澄生の作風が詩的情緒に溢れているのは、そのためなのですね。
ヒリヒリとするような若い頃の失恋が思い出に変わった頃、澄生の作品には変化が現れます。ユーモアやほのぼのとした優しさ、穏やかさに包まれてゆくのです。実際に展覧会場で鑑賞中の見知らぬ方々が、作品を前に思わずにこやかな微笑みを浮かべてしまっているシーンに幾度も遭遇しました。勿論、僕もそんなふうに笑っていた内の1人です(^^。
◆アンリ・ルソー / 『自画像』(1890)
澄生は、彼と同じように美術教育をほとんど受けずに我流の日曜画家として活動したアンリ・ルソー(1844-1910)を敬愛するアマチュア芸術家でした。英語教師に加えて、学校の野球部の部長も務めていましたので、彼が自身の創作に当てられる時間は、学校から帰った夜の僅かな時間のみしか有りませんでした。
しかしながら、当時から彼の芸術を理解する人々は確実に存在しました。詩人の萩原朔太郎は自身の小説『猫町』の装丁を澄生に任せ、「あの本の表装は従来の僕の作品の中で一番の出来だ。彼は僕の詩の精神を的確に理解し表現してくれる。」と絶賛しました。
また、その頃はまだ洋画家を目指していた若き日の棟方志功はたまたま展覧会で観た澄生の作品(『初夏の風』)に多大なる感銘を受け、その経験こそが版画家・棟方志功を生むきっかけとなったと云うのです。
これらのことからも、澄生は単なるアマチュアの趣味や余技と云った範疇にはまるで収まらない、大変優れた芸術家だったと申し上げて差し支えないでしょう。
ユニークなアイデアに富んだ澄生の作品は一般的な版画作品のみに留まらず、様々な形となって生み出されました。彼は単に大正・昭和のノスタルジーを感じさせる版画家との評価に留まらず、デザインやイラストレーション的な見地で鑑賞しても非常に興味深い作家です。彼のアート感覚には、現代でも「なるほど!」と思わせるセンスが溢れています。僕の好きなイラストレーター、メイコ・イワモトさんや山崎杉夫さんを思い出すような作品もちらほら(本当ならこの辺りの作品は図録からスキャンしてこちらでも紹介したいのはやまやまなんですが・・・※1)。
◆参照過去記事
・メイコ・イワモトさんに関連する過去記事 → http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2006-04-10
・山崎杉夫さんに関連する過去記事 → http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2007-04-22
1918年に日本へ戻ってからは宇都宮に英語教師の職を得て生活の本拠とし、以降の生涯に於いては澄生が再び横浜で暮らすことはありませんでした。しかし、彼は故郷としての横浜を終生愛し続け、自分が生まれる以前の文明開化の頃にまで思いを馳せて、その姿やエッセンスを作品として残しています。
とても素敵な展覧会で、もっと詳しくご紹介したいところなのですが、会期は今度の6月7日(日曜日)までともう終了直前。何はともあれ、どんな内容でも兎に角展覧会が終わってしまう前にUPせねば意味が無いと、慌てて記事を間に合わせることにしました。多少なりとも、川上澄生の作品の魅力がお伝え出来ると嬉しいのですが・・・。
今週末、ご都合が宜しければ是非、ご覧になってみて頂きたいと思います。
◆本展覧会図録(2,300円也)
この不況下で私立美術館の経営は本当に大変だろうとは思いますが、そごう美術館、頑張ってるな!って感じます。地元に根ざした美術館として、これからも好い企画展を期待したいし、ずっと変わらず応援して行きたいものですね。尚、6月12日からの次回企画は「レオナール・フジタ展」。こちらも大変楽しみです。
◆参照URL
・KIRIN美の巨人たち : http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/f_070811.htm
※1、川上澄生氏が亡くなったのは1972年ですので、作品は基本的にまだ著作権の存続期間内にあると云うことで、本ページに掲載した作品は全て展覧会ちらし、及びチケットからの画像引用に止めています。他作品につきましては栃木県の鹿沼市川上澄生美術館のサイトで作品の幾つかを観ることが出来ます。今回そごう美術館に展示されている作品も多いようですので、是非ともそちらもご覧下さい。
◆鹿沼市川上澄生美術館 : http://kawakamisumio-bijutsukan.jp/
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